房総サンド

やっています。

食卓

善人なおもって往生を遂ぐ、況や悪人をや。
特に何かをした覚えはないが生まれてこの方親不孝者と罵られ、そんなうち然るべく素行も悪くなり、十五の時分に担任に取っ捕まえられて渋々受けた進路面談でお前はいい死に方をしないと宣告を受けた。教師がそんなことを言って良いのかしらと仲間内で一頻り盛り上がってから、帰宅して布団の中で一人になると途端に気分が滅入ったのを覚えている。
善人なおもって往生を遂ぐ、況や私をや。
いい死に方はしなくとも極楽浄土には行けるさとただ一人励ましてくれた先輩は、十七の夏に自殺した。
その先輩の年齢を追い越してしまった今日、私はいよいよ死に損ないの感を強く覚え胸が苦しくなるのだった。

親に誕生日を祝われたのは記憶の遥か昔だ。十八になった日の夜に居間に来いと申し渡されたのもどうせ定例の説教だろうと思い、わざとうじうじ勿体ぶってから向かった居間では思いもよらぬ光景が広がっていた。
久しく着席していなかったダイニングテーブルの真ん中には十八の数字を象った蝋燭を据えた大きなホールケーキが鎮座し、子供好きしそうなご馳走がいくつか、ケーキに負けず劣らじと胸を張っている。
どういう風の吹き回しかと吃驚して、その驚きのあまり文句や嫌味の一つも出てこなかった。親は平常になく気分がよさそうで、三つ上の兄も今日ばかりは家に戻っているようでかつての定位置に当たり前のように座っている。私もおずおずと兄の横に着席すると、粛々と、それがあたかも毎年の恒例行事であったかのように、私の十八の誕生日を祝うパーティは始まった。

会話の内容は覚えていない。しなかったかもしれないし、兄と親が何か話しているのに曖昧に相槌を打ったりはしたかもしれない。艶々の苺が誇らしげに光るケーキを食べ終え、落ち着くことこそはできないがこの状況に慣れ、今までの人生に浮かぶ塵芥のような厭な記憶が濾し取られていくような心地を覚えてきた頃、私は親に勘当された。
ハッピーバースデーと歌ったのと同じ顔で、これがお前の最後の晩餐だと言われた。なるほどこの完璧な食卓は、家を追い出される私への餞別であったらしい。
厭らしいことをするんだな、と言うと頬を張られた。この家の人間でもないのに体罰を食らわされる理由はないと怒鳴ると向こうも喧々と怒鳴り返してくる。大人しいだけの兄が私と親の応酬を交互に見てただおろおろと所在無さげに体を小さくしているのも、腹立たしかった。
善人なおもって往生を遂ぐ。
十七で人生を終わらせた先輩はその後極楽浄土に辿り着けたのだろうか。先輩はマンションの屋上から飛び降りたらしい。極楽浄土に通じる道はアスファルトに阻まれたりやしなかったのだろうか。びしゃびしゃに飛び散った肉片の赤を想像しようと視線を揺らめかせると、三分の一ほど余ったホールケーキの上を飾っている苺が目に入った。よく見ればグロテスクなそれが、ショートケーキの上に乗れば可愛らしいアイコンになるのが面白い。
お前はいい死に方をしないと言った教師の声が頭の中で反響した。ならば、自分の納得できる死に方を自分で演出しなければならない。
手始めに忌々しい此奴らにいい死に方をさせてやらないところから始めよう。不用意にも食卓の上に置かれたままだったケーキを切ったナイフを手に取ると、馬鹿どもは呆気に取られているうちに声も出せないで死んでいった。
善人なおもって往生を遂ぐ、況や悪人をや。
食器の上に突っ伏して事切れている死体らは滑稽だ。自分ならこんな死に方は嫌だ。いい死に方はしなかったが、しかしきっと往生できることだろう。

先輩が飛び降りたマンションの屋上に立つと、風がいやに強く感じられた。今死んだらついさっき死んだ嫌いな奴らと極楽浄土で出くわすだろうか。
それとも、善い人だったけど自殺を選んだ先輩と同じ地獄に落ちられるだろうか。